アフ ナウナウ
(AHU NAUNAU)

ハンガロア村から、島で唯一舗装されているメインストリートを走って19km。島の反対側に位置するアナケナにつく。白い砂浜がつづくビーチの反対側には、アフナウナウと呼ばれる7体のモアイが立っている。このモアイが作られた時期は新しいが、倒れていたモアイを復元したのは20年以上前と、再建の歴史は古いモアイ達である。ここのモアイの特徴は何と言っても土の中から掘り出されたモアイ達のため、線がシャープではっきりしていること。そして赤色凝灰岩の「プカオ」を4体のモアイが乗せていること、胴体に書かれた手などの装飾が比較的残っていること、そしてアフ(祭壇)に古いモアイの頭をそのまま使ったり、動物などのレリーフが描かれていることである。


整然とした7体のモアイ

フリモアイ(モアイ倒し戦争)によって千体あると言われる全てのモアイが倒されてしまったが、後にやってきた西洋人達が復元を始めた。その結果、現在40体ほど立ったモアイがある。しかしその中でも、プカオ(帽子)をかぶっているモアイというのは、トンガリキに一体、コテリクに一体そしてここナウナウに4体しかない。プカオ自体が800年間と言われるモアイづくりの中でも比較的後期のモアイの特徴なので、時期の問題もあるのだが、この姿を見てしまうと、他のモアイにもプカオを載せてしまいたくなるほどインパクトは強い。


後ろ姿は

白いビーチに背を向けて立っている7体のモアイである。このモアイ達は1978年に島の考古学者、セルジオ・ラプ氏らによって復元されたもので、このとき、現在博物館に展示されているあの「モアイの目」が発見された。比較的新しい時代のモアイ達なので、背中の模様等がはっきりと残っている。また、モアイが全体的にスラッとしていて精悍な印象を受けるデザインである。ラノララク山中に放置されているモアイ達とデザイン的には近いものを感じる。


モアイと馬

海を背にして立つモアイ達と、その前の馬。長い、立派なアフの前には何十頭もの馬がゆったりと草を食べている。現在のイースターは「牧畜と観光」で成り立っている島と聞くが、果たして馬はどんな役割を持っているのか不思議に思う。もちろん、荷物や人を運んだりする生活の足にはなっているのは分かるのだが、馬さしにして食べるわけでも無し、競馬場があるでは無し・・・。ちなみに、三番目と四番目のモアイの間の後ろに色の違うモアイが小さく写っているが、これがホツマツア王のモアイである。


周辺にはモアイのかけらがゴロゴロと

こんなにきれいに並んでいるここのモアイも全てが再建されたわけではない。上の写真を見ていただくと分かるが、実は右側にもアフがあり、ここにモアイは一体も立っていない。つまり、まだ何体ものモアイが立っていたということになる。プカオもたくさん転がっており全盛当時はさぞや壮観だったろうと思われる。


アフ(祭壇)の人物のレリーフ

ちょっと分かりにくいが、人が並んでいるのがおわかりだろうか。二人の人物が何かの動物を挟んで立っているレリーフである。現地の人に聞いたら左が男で右が女だと教えてくれた。違いは・・・股間を見ろとのこと。(それでもよく分からないが)


海鳥が描かれている

アフにはこうした動物を描いたレリーフも多い。オロンゴの様に鳥を描くこともあれば、トカゲを描いたものもあった。


あっモアイの頭だ

アフの一部だがこれがモアイの顔というのがおわかりだろうか。比較的小さなモアイだが、それをアフにしてしまうとは・・・。神聖なモアイを台座にしてしまうとはちょっと考えにくいが、モアイづくりは約800年も続いた伝統行事。それだけ長く続いているものならば、古いものは割り切って材料として使ってしまうことも考えられなくもない。